乗鞍高原の歴史をたどる。

山岳地の厳しい環境にありながら、古くから人の暮らしがあった乗鞍高原。その軌跡は、神秘と智恵と工夫に満ちています。そんな乗鞍高原の歴史をたどります。

❶ 縄文時代から人が暮らす場所

遡ると、地域内には縄文時代の生活跡が残る遺跡があります。位沢地区にある「位沢遺跡」で発掘された遺物から、およそ8000年前に、 この地で木の実やヤマノイモ、山菜といった植物を食べて暮らしていたことが分かっています。他にも、川で魚を捕り、山でシカやイノシシを捕ったりと、山の自然に恵まれ、豊かな暮らしをしていたようです。

❷ 乗鞍に残る数々の伝説

地域にひっそりと佇む梓水神社は、平安時代の書物にもその名が記されているなど、古の伝説や歴史が地域内の各所に刻まれています。例えば、頭を乗鞍の権現池に、心臓は御池に、尾尻は諏訪湖につながっているとされる「龍神伝説」は、乗鞍に残る伝説のひとつです。御池の隣にある大野川小中学校の子ども達も、その伝説を昔から伝え聞き、御池にいたずらをしてはいけないと心得て育ちます。

乗鞍高原のルーツが眠る

「梓水神社」について詳しくは

❸ 山岳信仰の霊場として

乗鞍岳は、古くは「位山」と呼ばれ、山麓から遥拝されていました。その後、修験者が登頂するようになると、山頂の飛騨側に乗鞍大権現、信州側に朝日権現神社が祀られ、霊山として修行の場になりました。18世紀末には山頂の朝日権現神社でご来光を拝んだ者にはご利益があるとされ、ご来光詣でが盛んに行われるようになりました。

❹ 杣人の暮らしがあった時代

江戸時代には、武田信玄が開発されたとされる大樋銀山(鈴蘭地区)から、銀の産出を盛んに行っていたそうです。また、大野川集落では、松本藩の御用杣(そま)として、豊かな山から切り出した材木を川を使って下流に運び、生活の糧を得ていました。その傍らで麻や蕎麦の畑を耕し、人々の暮らしが営まれていたようです。

やがて、白骨温泉の湯の権利(営業権)をもつ村人が増えると大野川集落を本村として、白骨温泉に通って湯治宿を経営するようになった村人もいるようです。

❺ 蕎麦づくりと狩猟・山菜が生活を支えた時代

明治時代に入ってからは、松本藩の藩有林が官有林となり、御用杣としての特権が無くなりました。その後は林業の他、蕎麦や雑穀づくりなど農業が生業を支えるように。また、狩猟や山野に自生するワラビの根から手間暇かけて作られるワラビ粉の出荷も生活を支える大切な副業になりました。

山の恵みを慈しみ、感謝していただきます。

「乗鞍高原のおいしもの」を読む

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❻ 学生村・スキー観光地として栄えた時代

大正の時代に入ると、上高地が世に知られるようになりました。その後、昭和9年に乗鞍高原は中部山岳国立公園に指定されます。
昭和に入ると、本格的に山岳スキーの合宿がはじまり、ガイド業という仕事も生まれました。また、乗鞍岳へとつながるエコーラインが開通し、スキーリフトが整備され、高原内に温泉が引湯されるなど環境整備が進み、夏場の避暑と勉強の場を兼ねた「学生村」として栄えていったのです。その後、スキー客を受け入れる宿が次々に開業され、次第に山岳観光地へと移り変わりました。


知る人ぞ知るパウダースノーが舞うゲレンデ

「Mt.乗鞍スノーリゾート」について詳しく

❼ 山暮らしのお裾分けをする今・そして持続可能な未来へ

乗鞍高原の「今」は……。時代が変わっても、この土地に広がる豊かな自然を引き継ぎ、ここを愛する人々がお互いに助け合い、環境や自然景観を守り、自らも楽しみつつ、暮らしをつないでいます。訪れてくださる方に山暮らしのお裾分けをしながら。

そして、この豊かな地域がいつまでも続くように、乗鞍の持続可能な未来を描き、地域一体となったアクションが始まっています。

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