乗鞍高原の伝説や民話

乗鞍高原には、地域に受け継がれている伝説や民話の数々があり、それらがいくつかの書物に残っています。
山岳信仰にまつわる伝説や、戦国時代の動乱の最中での武将との関わり、今でこそ乗鞍のビューポイントとして人気のあの場所に伝わるお話など……。今回は乗鞍高原の伝説や民話をおさめた書物から、5つのお話をご紹介します。

❶ 龍神伝説

乗鞍岳は原始時代から、松本平はもちろん諏訪地方の農民からも聖なる山として信仰されてきました。
「日本三代実録」の貞観9年(867)の条には、正六位梓水神とありますが、この梓水神こそ乗鞍岳で、古くはその逢拝所が大野川の宮の原にありました。ここに乗鞍岳の権現池そっくりな大池があり、人々はこの大池を神の池御池とあがめていました。古くから、この池の水をもらって苗代にまくと、よく稲ができるといい、日照りの時にもらってまくと雨が降ると伝えられ、霊験あらたかな池として知られています。

この大池(御池)の中には、一つの小島があって、弁財天女と乗鞍権現との二つの神が祀ってあります。
その昔、この池の深い所に龍神が住んでいましたが、ある時一匹の年老いた熊がこの池に落ちて死んでしまったのです。龍神はこれをけがらわしいと怒りました。すると、急に空が曇り、暗くなったかと思うと池の周囲に紫の雲が湧きだし、あれよあれよという間に、乗鞍の権現池(一の池)へ行ってしまったので、この池は浅くなり草が生えるようになったといわれています。
そしてまた、竜神の頭は乗鞍岳の権現池にあり、胴はこの大池に、そして尾は諏訪湖に延びているともいわれています。村人が池を恐れたことから、池に石を投げこんだり棒でかきまぜると大嵐になるという言い伝えもあります。

❷ 養蚕の神様となった秀綱

天正13年(1585年)の初秋、飛騨路を一路信州目指してひそかに峠を越えようとしている一団がありました。この人々は、夜陰に乗じて城を抜け出し、信州筑摩郡の波多城へ落ち延びようとしている飛騨松倉城主の三木秀綱(みつきひでつな)と奥方の一行でした。三木家は、飛騨中に敵なしといわれるまでに天下に知られていましたが、戦国の世の末期、信長が本能寺で明智光秀に殺されて、世の大勢が秀吉の天下に傾くや、信長びいきであった三木家の運命は一転。かねてから宿根を抱いていた秀吉方の金森家に城を追われてしまいます。

夫人と一時別れて波多城で落ち合うことにした秀綱は、一人安房峠を越え、白骨温泉を経て大野川村へさしかかりました。追手から逃れて一軒の農家へ飛び込むと、主人が気をきかせて養蚕で使う桑かごの中に秀綱の身をかくまいました。一命をとりとめた秀綱は、この主人に厚く礼を言って再び波多城目指して祠峠へ向かいますが、追手に見つかり命を落としてしまいました。
しかし数年後、秀綱をかくまった家では蚕が大当たり。それをうらやんだ村の人たちは秀綱を祀り蚕霊神社として参拝するようになったそうです。

❸ 善五郎の滝

江戸時代の話。この村に善五郎という釣り師がいました。ある時、善五郎は小大野川へ降り、次第に上流へと釣り上げていきました。いつもなら2、3時間も釣るとびく(釣った魚を入れて歩く道具)がいっぱいになるのに、この日は餌を引っ張りもしません。さらに上流へと釣り上げていくうちに乗鞍岳に日が沈み、夕映えとなってきました。
と、上の方からごうごうという音が聞こえ、近づいてみると大きな滝が現れてきました。

善五郎は気を取り戻して、「ようし、最後にここで大きいのを釣り上げて帰ろう」と静かにえさを流してみたところ、数分後に確かな手ごたえがあり、釣り上げようとしたのですがなかなか上がってきません。イワナは滝壺の中を泳ぎまわり、ふちの奥の方へとずんずん糸をひいてゆきます。ついに善五郎は身の危険を感じ、さおを手から離して一目散に逃げ帰ったのです。命からがら家に帰りついた善五郎は病の床に伏してしまいました。
こんなことがあってからこの滝を「善五郎の滝」と呼ぶようになりました。

❹ 千間淵と願いごと

大野川は山と谷ばかりで奥山の乗鞍の麓には良材がたくさんありますが、その材を運搬する道もないので、昔は谷川に流したり急な斜面に沿って落として運びました。
ある年のこと、千間(一間は1.8m×1.8mの山)ほどの薪を伐って谷川に流したところ途中で行方不明になってしまいました。

十数日経ってからある杣人が千間淵のそばを通ったところ、千間もの薪が浮いているのを見つけました。村人は大喜びし、これは神様のおかげだとお神酒を供えてお祝いをしたそうです。その際、肴を盛るための皿がなく、木の葉を代用しようと洗いに行ったところ、不思議なことに必要な数だけ皿が淵に浮かんできました。その後、何か欲しいものがあるとここへお願いに行くと、すぐに浮かんできたそうです。
しかしある時、借りた物を返さない人があり、以降いくら願い事をしても聞いてくれなくなったのだとか。

❺ 釜場の話

千石平の中ほどに、「釜場」と呼ばれる場所があります。そこは岩が屏風のように立ち並び、乗鞍岳から流れる小大野川の川幅がぐっと狭められ、まるで大釜に水を勢いよく入れるように「ゴーゴー」と流れ込み泡立って、その先の淵にゆったりと沈んでまた何事もなかったかのように流れ下っていくという、そんな場所です。

昔から、釜場にはカッパが住んでいるという話がありました。ある時、この村の二人の子どもがこの辺りで遊んでいたのですが夕暮れ時になっても帰ってきません。一晩中探しても見つからず、二人の親が何とか探し出そうと行者様をすがりました。行者様が釜場の岩の上で一心に祈って七日目のこと、どこかで子ども達の笑い声や楽し気に遊ぶ声が聞こえてきたそうです。目を開き、まわりを見回しても誰の姿も気配もありません。行者様がまた一心に祈っていると、子ども達の楽しげな声が、水の底から聞こえてくるようでした。行者様は、悲しみに暮れる親たちに、「かっぱの村であそびまわっているようじゃ。よかったのう。」と告げました。
それから、二人の子どもの消えた7月7日に、二人が帰ってくることを願ってにぎやかに祭りをするようになったそうです。


今回ご紹介したお話の他にも、この地域にはいくつかの伝説や民話が眠っています。地域に伝わる様々なストーリーに触れ、お話の時代背景や登場人物、自然の神秘に思いを馳せつつ、この地で過ごす時間……。それは、地域を深く味わえるスパイスのようなものかもしれません。きっと旅の楽しみがぐんと広がるのではないでしょうか。ご興味のある方は、伝説や民話にスポットライトをあてて、じっくりと乗鞍高原を巡る、そんな旅もぜひおすすめです。

【参考文献】
北アルプス乗鞍物語:福島 立吉 口述 / 長沢 武 著
乗鞍の歴史と民俗:長野県文化財保護協会 編
安曇村の民話(一):安曇村民話の会