#38 チョウの棲む草原環境と一の瀬の未来

表情の異なる池が点在し、小川がさらさらと流れ、季節ごとの山野草を楽しめる草原が広がる「一の瀬」は、乗鞍高原を訪れる方々に人気の場所です。そこは、地元の人たちが原風景として大事に想い、その豊かな草原景観を維持しようと、昔から地元の人達が継続的に手入れをして守り続けている場所でもあります。そんな一の瀬が、実は草原性のチョウ類にとって貴重な生息地だということをご存知でしょうか。

生物多様性の保全が、国内的にも国際的にも重要な課題の一つとして位置づけられ様々な取組みがなされている今、一の瀬とチョウをめぐる動きに一つのヒントが……?チョウ類の専門家を招いて先日一の瀬で行われた勉強会(環境省主催)の内容を抜粋し、ご紹介します。

チョウの棲む草原環境と一の瀬の未来

❶ 生物多様性って?

環境省によると、現代は生物にとって第6の大量絶滅時代と言われ、種の絶滅速度が加速度的に上昇しているそうです。このままでは、今後数十年で世界で約100万種の生物が絶滅する恐れもあります。

そんな危機的状況に対して、国際的な動き(生物多様性条約)や国内での動き(生物多様性国家戦略)が活発化しており、国を挙げ、世界と協働して生物多様性の存続に乗り出しています。

そもそも生物多様性とは、「全ての生物の間の変異性をいうものとし、種内・種間及び生態系の多様性を含む」。(「生物多様性条約」による)

多様性があることは、様々な恵みをもたらし、生産性や適応力が増すことから、生物多様性・自然資本は社会経済の基盤だという基本認識に立ち、その存続に向けて様々な側面からの取組みが必要とされています。

❷ 絶滅危惧に拍車がかかるチョウ類

今回取り上げるチョウ類に目を向けてみると、国内では約240の種が生息しています。中でも草原性のチョウ類は、本州には42種が生息。しかし、年々生息環境が脅かされて種の存続が危うくなり、レッドリストに追加される種が増加しています。

日本鱗翅学会会長で甲州昆虫同好会会長の渡邊通人氏によると、草原性チョウ類の中には、国内の一部で辛うじて残っている貴重なものもあり、その保全は喫緊の課題。各地で生息環境の調査や保護活動が行われています。そんな中、実は乗鞍高原の一の瀬は、草原性チョウ類にとって良好な生息地の一つなのだそうです。

❸ 一の瀬がチョウの宝庫である理由

長野県のチョウの生態に詳しい、日本鱗翅学会自然保護委員でまつもと虫の会の福本匡志氏によると、植生遷移による森林化、シカによる草本食害、採集圧などにより、近年、草原性チョウ類の生息地は急速に減少しているようです。

草原性のチョウ類にとっては、産卵場となり、幼虫が食草とする植物の生息環境が種の存続に重要なカギを握ります。一の瀬は、シカの食害がまだないことに加え、人による持続的な草原の手入れによって、草原の森林化を防いでいます。そのことが、多様な草原性チョウ類の生息場所として存在する理由のようです。

❹ 一の瀬の知られざる価値

かつて牛が放牧され、季節ごとに色とりどりの花が咲き、見上げると穏やかで優しい山容の乗鞍岳がそこにある。そんな一の瀬の牧歌的な景観を、牛が放牧されなくなった今も、シラカバなどの幼木の伐採や草刈りなど、こまめに草原の手入れをしながら地元の人達が「大切にしたい原風景」として守り続けていること。そのことが、結果的に草原性チョウ類の生息環境を育み、生物多様性の保全に寄与していたという事実。その生物・生態学的価値について、一の瀬の手入れを続けてきた地元の住民は、ほとんど意識していませんでした。

その価値に気づかせて頂いた今、改めて草原性チョウ類を一の瀬の環境の一つの指標「シンボル」と位置付けて、地域として、「大切にしたい原風景」に「多様なチョウの舞う草原生態」を意識的に加えて守り続けていけたら……。

そのためには、専門家の福本氏によると、今後チョウ類を含む詳しい生物調査と環境評価に加え、一般市民への啓発や協力等が不可欠とのこと。地域として専門家の助言を真摯に受け止め、具体的な取組み(生態系を維持する草刈りの仕方や時期の選定、生態系保全へ向けた地域内外への普及啓発)につなげていこう!と思いを新たにしたところです。

❺ 一の瀬のミライとネイチャーポジティブ(自然再興)

改めて、世界に視野を広げると、生物多様性の損失が加速度的に進むなか、その損失をとめ、自然を回復軌道に乗せて反転させる「ネイチャーポジティブ」という考え方が国際会議等で掲げられ、注目を集めています。

しかし、ネイチャーポジティブを目指すには、これまでの自然環境保全の取組みだけでは足らず、様々な分野が連携した複合的な取組みが必要と言われています。

そんな中、環境省中部山岳国立公園管理事務所の森川政人所長は、地域づくりを主とした「人と自然との関わり」によって、結果的に生物多様性の保全に寄与するという一の瀬のWin Winなあり方は、「ネイチャーポジティブを広めていく上で、全国の中でも新しい一つのモデルになる」とのこと。その未来への可能性が印象に残る勉強会でした。


地元としては、一の瀬の価値を再認識した上で、これからの一の瀬にとって、どんな手入れの仕方が最適なのかを考えるきっかけを頂きました。乗鞍高原に興味を持っていただく皆さんは、季節ごとに歩いて頂きながら、チョウなどの小さな生き物や、それらの生息する環境、この先の未来にも目を向けていただくと、より一層、乗鞍の自然とのつながりを感じられるのではないでしょうか。この地を訪れてくださることが地元の活力につながり、一の瀬の草原環境を守る活動にもつながっていく。そのことを頭の片隅にそっと置いて頂けたら……。

訪れてくださる皆さんと地元の住民のこれからの行動が、多様なチョウの舞い続ける一の瀬のポジティブな未来を作ることにつながると信じて、関わってくださる皆さんと一緒に進んでいけたら、地元としてこんなに嬉しいことはありません。

一の瀬について詳しくは